海地獄

海地獄

海地獄の起源

今から約1200年前、貞観九年正月、鶴見岳噴火と共に出来た熱泉のひとつが海地獄です。
水面が海のようなコバルトブルーに見えることからその名が付けられるようになりました。
温度は約98度あり、泉脈まで深さは200メートル以上と言われています。泉質は酸性、水面が青く美しく見えるのは、温泉成分に“硫酸鉄”を多く溶解しているためです。

地獄めぐりの始まり

明治43年(1910年)に、宇都宮則綱(大分県議、衆議院議員)が初代千壽吉彦から海地獄を借りて、遊覧施設などを整えて、2銭の入場料を徴収したことが、本格的な観光としての地獄めぐりの始まりです。

  • 油屋熊八(左)

  • 日本最初の遊覧バス 地獄めぐり

  • ヘレン・ケラー(右)

しかし、当時は地獄めぐりの循環道路もまだできておらず、地獄見物に来るお客さんは一日に数えるほどでした。
大正12年に陸軍の大演習が行われることになり、この機をとらえて、別府市議・山田耕平たちが猛然と国に働きかけ、陸軍が通る道路を建設してもらいました。大演習後これが、地獄めぐりの循環道路となり、多くの観光客が訪れるようになり、海地獄を中心に地獄めぐりが別府観光の大きな柱となりました。
そして、別府観光の祖といわれる油屋熊八は、昭和3年に日本初の”女性バスガイド”と”遊覧バス”を発案し、「地獄めぐり遊覧バス」を定着させました。今では当たり前のバスガイド付き観光バス、実は別府が発祥なのです。

  • 昭和天皇・皇太后

  • 天皇皇后両陛下

  • 皇太子殿下

国指定名勝へ

平成21年5月15日に開催された国の文化審議会において、文部科学大臣に「別府の地獄」として国の名勝に指定するよう答申され、平成21年7月23日告示されました。
指定物件は海地獄、血の池地獄、龍巻地獄、白池地獄の4地獄。
大分県内にある名勝としては大正12年に指定された耶馬渓に次いで、86年ぶり2件目。
4つの地獄の指定理由は「日本古来の温泉地として名高い別府の中でも、独特で多様な色彩・形態の下に湧出する観賞上の価値、名所的・学術的価値の高い泉源である。」
となっています。

【句碑】「海地獄美し春の潮より」 高野素十
昭和15年作 昭和44年建立

油屋熊八扇が考案した少女車掌付きの地獄めぐり観光バスの案内より
海地獄部分抜粋

次ぎは其の名も珍しい、山の中なる海地獄、緑滴る絶壁を、背景とせる谷間に、深く湛ゑし熱湯は、色紺碧の海に似て、其の物凄さ美しさ、嘗て今上陛下には、未だ東宮におわす時、其處に台臨遊ばせし、別府名所で御座います。
海地獄で御座います、御見物遊ばしませ、御案内致させます・・・


レコード名勝開設別府温泉地獄巡り(昭和8年ポリドールより発売)

与謝野晶子

与謝野晶子(昭和6年来県)
とよ国の浜の砂ゆに自らを
鶴の玉子とおもへるは誰
闇の夜も西海の潮なほ光
高崎山ののぞまるるかな
帰らん日さらに思はじよそに見む
別府の空きの桟橋の船
この世なる豊の別府の海地獄
瑠璃の波より白雲ぞ湧く

地獄讃

ダンテにしても、ミルトンにしても、ブレークにしても、その描いた天国はちっとも美しくなければ面白いこともない。
それなのに、地獄篇となると、まったく凄まじい楽しさだ。そこにいはいきものの残虐さが遺憾なく表現され、僕など極楽へやってもらうよりは地獄行きを願いたい。
偉大な詩人や作家によって描写される天国も地獄も、近代人にとっては恐ろしい所でもなく、羨ましいところでなくなった。
しかしながら我が別府に遊ぶと八大地獄が現前する。これは確かに恐ろしい地獄に相違ない。熱湯が噴出し、轟々と地鳴りがなり、生きた序題な鯉が数えきれないほど蠢き、鬼こそ目に見えないが足を滑らしたら、一瞬にしてこの世のものではないのだ。地獄の釜より熱いだろうと思うと地獄へ行きたい根性などかき消えてしまう。
人間は一度は現世の地獄を見、何等かの意味でおのれを空しうして反省し生きる道を考えるには別府の地獄の諸相を目の当たりに見ることを寧ろお勧めしたい。地獄をくぐって生き返った人間こそ本当に人間だからだ。
今 東光 著